ある瞬間、誰しもが絶望を感じることがある。幸福だけで人生を過ごすことはできない。生きている限り、苦痛や悲しみを感じることがある。しかし、亡くなった人たちにとって、生きている時の苦しみは、果たしてどのような意味があるのだろうか?
2019年4月8日16時08分 東京都S区
「お疲れ様。皆さん!」捜査一課の中村正は、身分証を提示しながら、封鎖された現場に現れた同僚たちに声をかけた。
中村は42歳の警部であり、20年以上にわたり捜査一課で働いてきた、経験豊富な警官だ。肌は、年月と共に黒ずんで荒れ、髪は次第に白くなり、がっしりとした体型で、指先には煙草のヤニが付いている。最近では医師から禁煙を勧められ、積極的に禁煙に励んでいる。
封鎖線に入った中村に、若い刑事が報告した。「中村警部、こんにちは!」
若者は藤沢純一といい、警部補の職に就いている28歳だ。まだ経験は浅いが、身長は少なくとも1メートル80センチ以上あり、完璧な体型を誇っている。麻色のショートヘアが美しく、鋭角的な顔立ちと子供っぽい目つき、直線的な鼻梁、滑らかな肌、清潔感があるだけでなく、あごには薄い髭が生えており、話すときには深い笑顔を浮かべる。
「現場で女性の死体が見つかりました。年齢は20代後半くらいで、10階からの転落が原因と見られ、その場で死亡したと思われます。」中村は周囲を見回し、目の前にそびえ立つ10階建てのアパートを見上げた。建物の入り口から少し離れた場所に、白い布で覆われた死体があった。しかし、その場所は血の跡で染まっており、隠せないほどだった。
死体を見る前に、中村はもう、死者の姿を思い浮かべていた。
「法医学者は?」中村は聞いた。
「今、到着するところです。」藤沢が答えた。
すると、白いプライベートカーが現れ、封鎖線の前で止まった。車の前には立体的な天秤のマークが付いており、その上にはヘビが絡まっていた。舌を出している。
中村はすぐに、それが東京都監察医務院の車であることを理解した。
東京都監察医務院は、日本の死体解剖保存法第8条に基づき、東京都23区で発生したすべての非自然死亡事件の死体検査と解剖を行う行政機関である。
近年、日本の解剖率が低い問題を解決するため、東京都監察医務院は、東京国立法医学研究所(Tokyo National Forensic Medical Research Centre)を設立した。この部門は、専門的な非自然死の法医学研究を行い、日本の法医学や公衆衛生医学の学術研究水準を高めることを目的としている。
この部署は、法医学の専門家や病理学者が交替で勤務し、24時間体制で政府や執行機関に緊急かつ専門的な法医学鑑定サービスを提供している。
「彼らが来たわ。」中村が言った。
車が停まると、30代の男性が運転席から降り、同じく30代の女性も助手席から出てきた。
「西村先生、加藤先生、こんにちは。」中村はなじみのある口調で声をかけた。
「中村警部、こんにちは。」加藤先生が最初に挨拶した。
加藤光先生は、東京国立法医学研究所に所属する上級女性監察医だ。彼女は、透き通るような明るい瞳、曲がった柳の眉毛、長いまつ毛、淡い赤色が透ける白い肌、黒く滝のように流れる髪を肩に垂らして、ポニーテールにまとめている。彼女の体型は優美で、細く長い脚は非常に目を引く。
もう一人の西村誠医師は、サングラスを外し、真っ黒な黒曜石のような澄んだ眼で凛とした英気を放っていた。静かな眼差しの中には敏感な視線が隠れており、整った顔立ちは彼の迫力を一層引き立てていた。
西村医師は中村警部に微笑みかけ、現場を調査し始めた。西村医師もまた、東京国立法医学研究所に所属する上級監察医であり、彼の寡黙で冷静な性格は、中村警部にとってはもうお馴染みのものだった。
「遺体はこちらです。お疲れさまです。」中村警部は、彼らを死体を囲む白いテントに案内した。
二人はすばやく車のトランクから道具を取り出し、白い防護服を着用し、手袋と靴カバーを履いてから現場に入った。
「どんな状況ですか?」西村は尋ねた。
「現場で20代くらいの女性の死体が発見され、10階から落下した可能性があり、その場で死亡したと思われます。」藤沢は前の話を完全に繰り返した。
西村と加藤先生は聞き終わると、手を合わせて故人に敬意と哀悼の意を示した。そして、西村医師はシートをめくり、加藤先生はその様子を見て、死体の状態を調べた。
中村警部の予想通り、死者の頭部は大きな傷を負っており、顔は歪んでいて、頭蓋骨は粉砕され、目は半開きになって意識を失っていた。死者の周りにはたくさんのピンク色の破片と鮮やかな赤い脳漿が散らばっていた。
「下顎の硬直度から判断すると、死亡時刻は2時間を超えていないはずです。」西村は、死体を初めて検査した後に言った。
「死者の肛門温度は、36度となっており、死後1時間以内に亡くなられたと推定されます。」と加藤先生は口にした。
人体の正常な肛門温度は摂氏37度であり、死亡後は1時間ごとに約1度ずつ低下していく。肛門温度が25度であるとすれば、死後12時間以上経過していることになる。だから、この死者はおそらく1時間ほど前に亡くなったのだろう。
加藤先生は続けて、「彼女はこの建物に住んでいたんでしょうか?」と尋ねた。
「はい。彼女の名前は正田美季子さん。主婦でした。事件が起こったとき、近所の人が夫婦の口論が聞こえてきたんです。それから、急に大きな音がして、部屋の外に出たら、正田さんが手すりから落ちたことに気づいたんです。そして、彼女の夫が手すりのところに立っていたのを見たそうです。すぐさま警察に通報されました。」と藤沢が説明した。その言葉により、一同の視線が死者の夫に集まった。
西村医師が加藤先生に告げた。「遺体の搬送を手配してくれ。」
「これからは君たちに任せるよ。」と中村警官は述べた。
「これは殺人事件なのか?」藤沢が問いかけた。
「検視を行わなければ判別できないだろう。」西村医師は答えながら、一瞬だけ、不安げな表情で死者の夫を見つめた。
『無言の先生』196Please respect copyright.PENANASwtxdkxdrW
原作:エイケン